してはならぬといいきかせている。
もし議論に勝ったとせよ、
相手の名誉をうばうだけのことである。
通常、人間は議論に負けても
自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、
負けたあと持つのは負けた恨みだけである。
「竜馬がゆく」(司馬遼太郎)より
これは、実在の坂本龍馬をモデルにして書かれた、「竜馬がゆく」にの作品の中に出てくる文章です。
普段の会話で、何かにつけて反論・批判する人っていますが、こういう人と話した後に、何とも言えない疲労感が残るのは、「こういうことか」と、ハッとしました。
自分の主張を言いたいだけ言い、「そうでしょ?そんなの常識でしょう?」ととどめをさす(笑)
こうなると言われたほうは、同じようにヒートアップしてしまうか、よほど重大なことでない限り、「ああ、そうですね。」と引き下がるでしょう。
それで、言ったほうは「勝った気」になって満足しているかもしれないけれど、言われたほうは釈然としないので不満が残ります。負けたあと持つ負けた恨みですね。
今この場で、その議論は必要なのか?
自分が責められていると勘違いして、無用の反論をしていないか?
何かというとすぐ、「でも」「だって」「そうじゃなくて」「違う、それは」と、口癖になっている場合は要注意かも知れません。