ウケ狙い?注目を得るため?だからといって人を不快にするのってどうなの。「人の嫌がることはしたらダメ」って、子どものときに言われたはず。
有名予備校の講師が著者の漢字問題集に「セクハラ」表現があるとのこと。テレビの情報だけをもとにすると、たしかにいかがわしい。なぜこんな表現をする必要があったのか疑問に感じます。
>> 漢字問題集に性的表現 「セクハラ」と批判、販売停止へ:日本経済新聞
「セクハラ問題集」その中身とは?
君のプレイスタイルに空いた口が塞がりません。教師と私のミッセツな関係を誰にも気づかれてはいけない。
脱いだもののにおいを嗅ぐシュウカン。
一定スイジュン以上の女子しかここには入れないんだよ。
私は自らシバられることを望んだのです。
これらは漢字問題集の一部を抜粋したもの。これだけを見ていると、気持ちの悪い不快感を覚えます。
「受験生が覚えやすい例文を目指した」のは理由になるか
たしかに、印象には残りました。
しかし、限られた時間で効率よく勉強したい受験生にとって、このような演出は邪魔でしかないのでは。「えっ?何?」と思って戸惑う時間が一秒でも無駄です。
ただし、受験する大学がこういった傾向の問題を例年出すというのなら話は別です。「気味の悪い問題文にも動じない訓練」だというのなら有効でしょう。
しかし、多くの大学はこのような出題はしないはず。それなのに、このような問題集で受験生を動揺させるというのは、何のメリットがあるというのでしょうか。
あるとしたら、テレビやネットで話題になって売上が上がる???一種の炎上マーケティング効果でしょうか。でも、販売停止になったようですね。完全に裏目にでたということです。
人を不快にさせる表現がメリットを生むことは皆無
インターネット上でも、ウケ狙いやアクセス稼ぎのために、ビックリするような写真を投稿する人がいますね。特にSNS上では、つながりのあるユーザーは強制的にそういった投稿を見せられてしまいます。これはとても迷惑なことです。
他人の悪口や誹謗中傷もそう。「こんなこと書いてすみませんが」と前置きする人もいますが、だったら書かないで。前置きしたら何かいても許されると思ったら大間違いです。
心の中で思うのは自由。ただし「書く」という行為をする以上は、責任と覚悟を意識しないといけません。
不適切な投稿をすれば、人は離れていきます。もしもビジネスをされているのであれば、信用を失うなど、当然影響も出るでしょう。それを承知の上でされているというのなら、もう何も言うことはありません。
受け手のこちらが、ブロックするなり、友達からはずすなり、するだけのことです。はっきり言って、この手間も無駄で迷惑ですけれどもね。